しばらくぶり
ブログ、
存在は覚えていたけど書くことを放置しいました。
誰に宛てて書いてるわけのないブログ
このブログを見ると
あずまを思い出します。
わたしの中にまだあずまは残っています。
去年の話になりますが、
あずまが亡くなって以降
はじめてお墓参りにに行きました
ただ、お墓はそこにあるだけのもので
そこにあずまはいない気がしました
お墓は必要なものだと思います。
死者になにか捧げるために
そのなにかは私の言葉では表せませんが
あずまはいないけど
そこにはたしかになにかがあるのです
お墓参りにいくといっしょに
彼の実家にも立ち寄らせていただきました。
お母さんは
きてくれてありがとう
と言いました。
お墓参りに行くのには時間がかかりました
あずまが亡くなってから
1年経ってから初めて行きました
現実を直視するのが怖かったからかも
それでも
お母さんはきてくれてありがとうと言いました
お母さんの辛さと私の辛さは一緒にしてはいけません
お母さんは毎日その現実と向き合ってるから
お母さんはイチゴをくれました
イチゴの写真を撮る私をお母さんは嬉しそうに見てました
泣くな
その言葉がぽつんと
わたしの胸の中にずっとあったように思います
快く受け入れてくれたお母さんには感謝しています。
4月くらいの春の季節にでも行こうと思います。
さて、
わたしがこのブログを久し振りに書いたのには理由があります
この1年はなにもせず
ただ、毎日を慌ただしく過ごしてました
空を見るのが怖かった自分
劇団に行くのが怖かった自分
違う場所に逃げてる自分があった自分
嘘をつき続けていました
きょう久し振りに空を見たんです
空は雲ひとつなくてとても青かったんです
その雲を見て
ふと思ったんです
嘘はつき続けてきた
ただ、
ひとつひとつは前に進んでいるんじゃないかな
言い方を変えれば
レールに乗って前に進むしかなかったのかもしれないけど
そのレールは決められたものであっても
前に進んですことには変わりないのではないかなと
すこし成長した自分を見返すことができた気がしたのです
誰かに頼ることしかできなかったわたしでした
泣いて、
泣きついて、
手を差し伸べてくれる人の手を迷いなくとってる自分がいたのです
決して自分は1人ではないけれど
ただ、頼り過ぎてる部分があったのではないかな
言い方は難しいですが
1人で向き合うことができるようになりました
辛くないと思える自分が出てきました
それをどこかに書きたかったので
ブログに書かせていただきました
このブログは誰かに見てほしいわけではないです
あくまで自分の記録用です。
敬語なのは客観視して書いてるからかもしれません。
今日もひとつひとつ頑張ります。
天国にいるあずま
わたしは今日も空を見てあずまを思い出します
がんばる